その理由を説明する前に、まず、私やましたひでこの話を聞いてください。私は都内の大学卒業後、石川県に嫁ぎました。嫁ぎ先では、夫の両親と同居していました。
さほど広くない家に2組の家族が暮らすとなると、どうしても手狭です。そこに子どもが生まれたものですから、家はますます手狭になりました。モノが増え、全然片づかない。当時は断捨離を始める前ですから、収納を工夫し、必死でスペースを確保しようと頑張っていました。
季節ごとに洋服を入れ替え、収納ケースに様々なモノを工夫しながら入れ、モノの出し入れや管理で本当にヘトヘトでした。
そんなある日のことです。。。
義母が新しい食器棚を買うと言い出しました。リビングが手狭になったので、モノを効率的に入れられるよう食器棚が必要だと言い出したのです。当たり前ですが、狭いリビングに新たに食器棚を入れてしまえば、さらに居住スペースが減り、リビングが窮屈になってしまいます。
ですから、私は大反対し、「やめてください」とお願いしました。(結局、義母は食器棚を買ってきたのですが、、)
こうしたことが他にも重なり、私のストレスはどんどん積み重なっていきました。そして、家にはモノが溢れるようになり、手狭で窮屈で使いづらい家になっていきました。
そんな時、出かけ先である光景が目に入りました。数台の車が停まっている時間貸しの駐車場で、ちょうど車が出ていくところでした。
それを見て、思ったんです。もし駐車場の中が車でびっしりだったとしたら、車を出し入れすることはできないなと。車が効率よく出し入れするには、車が通れる「通り道」が必要だな、と。そして、家のなかにある収納家具や押入れにも、モノを出し入れするための「モノの通り道」が必要なのではないか...と。
私はこの日以来、「モノを減らしてみよう」と思うようになり、実行に移していきました。そして、収納スペースが少しずつ使いやすくなり、モノの出し入れがラクになり、それに伴って家事もどんどんラクになっていきました。
そして、30歳くらいの時のこと。高野山を訪れ、宿坊に泊まりました。そこは、視界を遮るものがほとんどないスッキリとした空間が広がっていました。それを見て、確信したのです。余計なモノがない空間はとても清々しいものなのだと。モノを減らせば、心までスッキリするものなのだと。そして、今でいう断捨離に取り組み始めたのです。